最近の青少年をとりまく状況は、決して好ましいものとは言えません。キレる子、無気力、無感動、善悪の判断のつかない子、感謝の気持のない子、思いやりのない子など、問題を持つ子どもは増加する一方のようです。物質的には豊かになっても、
“こころ”は決して豊かにはなっていません。このような状況を子どもの責任にするのではなく、子どもを育て教育している大人が大いに反省をしなければいけないと思います。
このようになったのは幼児期の育児や教育にも大きな原因があると思います。物が豊かになったせいか、子どもに対する過保護、過干渉、物の与え過ぎ、親の期待過剰からくる意味のない早期知的教育、子どもの興味・関心を無視した見栄えを尊ぶ表現教育など、健やかな心の発達に害のあるような育児や教育も少なくありません。また、幼児期の“しつけ”の教育を強調するあまり、子どもの発達を無視した圧力的な厳しい“しつけ”も結局は問題児をつくることになると思います。“しつけ”の教育とは、大人の“思いやり”の心を自然に子どもの心に植えつけることだと思います。
私たちはややもすると、大人の目で子どもを見てしまいますが、本当に子どもの心を理解し保育するということを真剣に考えるべきです。子どもも大人も“共に生きている”(生かされている)という共生の心を培うことが重要なことだと思います。
真生幼稚園には亡くなった小動物の墓があり、子どもたちもお参りをしています。また、日常の保育のなかで、先祖とのつながりを感じるような環境をつくり、感謝の心や生命を大切にする心を育てています。
真生幼稚園では佛教の精神に基づいた“もの”にとらわれない“こころ”の教育、子どもの発達の筋道に応じた自由で自然な保育、管理し過ぎたり枠にはめたりすることのないおおらかな保育をし、自主性と自己抑制力を身につけた自立心のある子どもが育つよう精進努力をしています。
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