深廣山潮音寺は1157年(保元2年、後白河天皇代)法相宗の寺院として建立されました。
そして1246年(寛元4年、後嵯峨天皇代)に數阿(すうあ)上人によって浄土宗に改宗されました。

 數阿上人という方は、浄土宗を開かれた元祖法然上人の直弟子、聖光(しょうこう)上人(=鎮西上人、浄土宗第2祖)の直弟子の一人、といわれています。

 潮音寺が開山されて、約850年以上にもなりますが、当時の有明海の海岸線は現在の本庄町鹿の子付近を通っていたと思われ、潮の音も聞こえていたのかもしれません。

 また潮音(海潮音)というのは、観音経にも出てきますが、「佛菩薩の、時をたがえず衆生を導き、恵みを与えること」を、海水が時を定めて干満するのに例えた語で、実際の波の音と佛教語の潮音をかけて、潮音寺という寺号がついたのではないかと思われます。

                                     
 
 
当時は寺領60町歩あり、現在地を中心に、七堂伽藍、末寺48ヶ寺がありました。現在でも「ガラン」という地名が残っているようですが、それは当時の潮音寺の大きさを物語っているようです。
 
 しかし、1400年代後半になり、戦国の世になると、豊後国の大友宗麟軍の度重なる襲撃にあい、潮音寺の大部分は焼失してしまったのです。そして、潮音寺の歴史を綴った文書も焼失してしまい、現在では残念ながら、残っていません。
           
                           
                    ・・・続く
                        

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