1. "いのち"を大切にし、"こころ"を育てる保育

最近の青少年をとりまく状況は、決して好ましいものとは言えません。虐待、家庭内暴力の横行、そして無気力、無感動、善悪の判断のつかない子、感謝の気持のない子、思いやりのない子など、問題を持つ子どもは増加する一方のようです。物質的には豊かになっても、“こころ”は決して豊かにはなっていません。このような状況を子どもの責任にするのではなく、子どもを育て教育している大人が大いに反省をしなければいけないと思います。
物が豊かになったせいか、子どもに対する過保護、過干渉、物の与え過ぎ、親の期待過剰からくる意味のない早期知的教育、子どもの興味・関心を無視した見栄えを尊ぶ表現保育など、健やかな心の発達には好ましくないような育児や保育も少なくありません。また、幼児期の“しつけ”の保育を強調するあまり、子どもの発達を無視した圧力的な厳しい“しつけ”も、結局は問題児をつくることになると思います。“しつけ”の教育とは、大人の“思いやり”の心を自然に子どもの心に植えつけることだと思います。
私たちはややもすると、大人の目で子どもを見てしまいますが、本当に子どもの心を理解し保育するということを真剣に考えるべきです。子どもも大人も“共に生きている”(生かされている)という共生(ともいき) の心を培うことが重要なことだと思います。
真生幼稚園の園庭のお地蔵さま(子育地蔵尊)は、いつも子どもたちの遊びを見守っていますし、子どもたちも毎日お参りをしています。日常の保育のなかで、先祖とのつながりを感じるような環境をつくり、感謝の心や、生命を大切にする心を育てています。
真生幼稚園では佛教の精神に基づいた、“もの”にとらわれない“こころ”の保育、子どもの発達の道筋に応じた自由で自然な保育、管理し過ぎたり枠にはめたりすることのないおおらかな保育をし、自主性と自己抑制力を身につけた自立心のある子どもが育つよう精進努力をしています。

2. 自由な遊びを中心とした環境による保育

幼児期は十分に遊ぶことが大切です。子どもの遊びというのは、生活の中で自ら興味・関心を持って、周囲の環境に対して意欲的にかかわることにより、活動をつくりだし、展開することです。大人になって人間関係でつまずく人も多く見受けられるようですが、人間関係の基礎を培う幼児期の「遊び」をもっともっと大切にすべきだと思います。子どもの遊びには、少なくとも次の三つの要素があります。

 (1)心から楽しく遊ぶこと

 (2)強制されるのではなく、主体的に遊ぶこと

 (3)何かの目的のための手段ではなく、遊びそのものが目的であること

要するに幼稚園では、子どもの自由な遊びが最も重要であるといえます。自由な遊びの中から、子どもの個性や人間性が培われ、人間関係を豊かにし、社会生活のルールを体得していきます。また、自分で考えることによって、自立心や想像力・創造力を培い、「生きる力」や「非認知能力」(智慧) を身につけていくのです。幼児期にいたずらに「早期知的教育」を行なうことは、真の知能の発達を阻害することにもなります。

自由に遊ぶということは、放任(ほったらかし)ではなく、先生が意図をもって子どもとかかわることによって、子どもの心を自由にしてあげることです。自由というのは、人間の魂の解放であり、子どもの無限の能力を引き出すのです。子どもの自由で“あるがままの生活”を、先生が佛の心をもって温かく見守り、援助してあげることが最高の知(智)的教育でもあるのです。

3. 世界の平和と幸せを目指す幼児期からの保育

現代は、世界の平和運動も盛んになっており、喜ぶべきことです。世界の民族が共に平和に暮らしていけるように願わずにはいられません。しかし、現実の世界では戦争が絶えず、悲惨な状況も見られます。人間の貪欲、怒り、愚痴など人間の煩悩がそこには見られます。

「国際化」というのは単に外国人と付き合うということではありません。人種、民族を超え、思いやりや共生の思想を育て、地球の人類が国境の壁をなくし、みんな平等という地球市民意識を持てるようにすることです。戦争のない平和な世界を創る心を日常の保育の中で培っていきたいと思っています。

4. 豊かな人間関係をつくる"オープン・エデュケイション"

人とうまくかかわることができない人が増えていることは、最近の大きな社会問題になっています。孤独感をかかえ寂しい思いをしている人も少なくないようですが、楽しい一生を送ることができるようにしたいものです。

豊かな人間関係のつくり方は、人間性の基礎を培う幼児期にしか学べないと思います。幼児期には遊びの中でトラブルを経験したりして、そこで相手の気持ちなどに気づき、思いやりの心が芽生え、人との関わりを学んでほしいと思います。

従来の幼児の保育はクラスを中心に活動をしていた傾向があります。しかし、あまりクラスにこだわっていると、好ましい人間関係は育たず、閉鎖的な社会性のない人間に育つ恐れがあります。昨今の犯罪を犯す若者の共通した特徴の一つとして、幼児期に好ましい人間関係が十分に育っていないということが言われます。 

真生幼稚園では、異年齢の園児のクラス編成を取り入れたり、遊びの中で縦割りの集団ができるような環境づくり、すべての保育者がすべての園児を見ることができるように、クラスにこだわらないオープン・エデュケイション(インフォーマル・システム)の考えを導入しています。しかしこれは容易にできるものではなく、保育者が園児一人ひとりを正しく見る目を持たないとできることではありません。真生幼稚園では幼児期の好ましい人間関係が育つように、一人ひとりの個性を大切にする保育をしています。

5. 知識よりも智慧(ちえ)を育てる保育

幼児期には知識を習得することも必要なことではありますが、それよりも大切なものが「非認知能力」だということが、文科省でもよく言われています。

学校などでの成績は基本的には点数で評価することが多いのですが、このような能力を「認知能力」といいます。一方、好奇心、粘り強さ、気持ちを切り替える力のような、生きていく上で大切になる能力で点数では評価できないものは「非認知能力」と言われます。幼児期には人生を豊かに生きる基礎となる、この非認知能力を育てておくことが重要なのです。
 認知能力が大切ではないわけではありませんが、要は認知的能力と非認知能力がバランスが取れていて、支え合うことが大切になります。

非認知能力から、「感謝」「思いやり」「救済」「慈悲」「命の尊厳」など、心の領域へ行くと、これは「智慧」というべきだと思います。真生幼稚園では非認知能力からさらに進んで智慧を育てる保育を保育方針としています。